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@速読書事典

速読や読書術・書籍の大百科事典です。
白い人・黄色い人/遠藤周作
この本を原因の分からない苛立ちに悩まされる10代の人たちに特にオススメします。
もちろんいろんな人に一度、考えながら読んでほしい作品です。

或いは、通俗的な拷問シーンに興奮を覚える方が読んでも、その文脈の範囲内だけで楽しめるかもしれません。


作品の舞台設定は第二次世界大戦前夜、ナチスが台頭し、まさにパリ侵攻を敢行するときです。

作品の見所としては、そういう歴史的側面よりも、外的環境がもたらした、拷問とか強姦とかいった野蛮で非人間的な行為よりも、精神的に病んだ主人公の心理描写に注視すべきです。


作者の遠藤周作さんは、ゲシュタポの通訳として働く主人公の精神の欠落の要因を幼児期の家庭環境に見ています。

彼のこころの堕落に、「神の不在」というカトリック作家特有の言説も聞き取ることは、可能です。


しかし、少なくとも「白い人」に関しては単なる「神」だけの問題ではありません。

不条理とか、理不尽とか言ったカフカに通じるような得体の知れないモノのよって突き動かされる現代の人間のこころの闇の深さについて、熟考すべきです。

主人公は、それを過去の映像的記憶に重きを置いています。


サディスティックな描写は、はっきり言って…凡庸です。

これは単に読者の好奇心を駆り立てる装置に過ぎません。

欲望や信仰といったテーマと直接絡むものではないです(大江健三郎の初期の作品、『芽毟り仔撃ち』と似た匂いを嗅ぎ取ることが可能です。暴力という匂いですネ)。

悲しいかなこの小説は、信仰や欲望への問題提起のレベルまでで立ち止まっているような気がしてなりません。

そんな偏屈なことを言ってもやはり、ユニークな作品です。

主人公の精神を考察し、自身の苛立ちと照らし合わせたりすると、面白い発見があるかもしれません。


加害者、被害者の立場というものは、常に流動的です。

自己犠牲の偽善、自己陶酔の欺瞞、という風にも解釈できます。

遠藤さんの作品ではやっぱり「海と毒薬」が大好きです。

エッセイも充実しています。

普段日常生活を暮らす上ではなかなか深く思考することが困難な信仰の問題を現代に置いても論じようと試みた彼の姿勢には恐れ入る、の一言です。


白い人・黄色い人
| 速読家の読書感想 | 15:32 | - | |
踊り明かしたあとに見える風景〜村上春樹/ダンス・ダンス・ダンス〜
「ステップを踏み続けるんだ、人が感心してしまうくらいに」


「羊をめぐる冒険」、と位置づけられます。

4年…、時間は経過し、主人公はあの、特殊な体験から逃げるように現実の中で仕事をこなしていたけれど、頭の中で「いるかホテル」の存在が大きくなってます。


今、思えば、耳のステキな女の子(娼婦名:キキ=【危機??】)は村上春樹さんの小説自体に大きな変革をもたらしたキーパーソンだと(だったと)いえます。

彼女、キキの存在がより神秘的な扱いになり、物語は進みます。

人のお金でハワイにだってバカンスにだって、行きます。



後半、「いるかホテル」でねじまき鳥クロニクルで登場する、壁抜け、の予兆ともいる行動を主人公はとります。

これは何度読んでみても、鳥肌ものです!
イメージの臨界点に達するような強烈さです。
狂おしいまでの豊穣なイメージの原風景!!!


抽象的ですが、ブワアーーッと虚実ない交ぜの世界を見せつけられました。

現実とも、幻想ともつかないような、リアルな「夢」を見せつけられました(確かに僕は村上ファンであることは認めますが、村上信者ではありませぬ。批判的な読者としての位置は崩したくありません)。

世界がバラバラに音もなく朽ちてゆくなかで、高速の、生き物や植物の生死の早回しの映像のような世界をみたんです。


物語のテーマはやはり「羊〜」と同じですが、より具体的に現実的な事例に則して「高度資本主義社会」をサラリサラリと扱っています。

マセラティとか象徴的ですね。

そして、ここでは、死が重要でもあります。

資本主義と、死。

「完全に死んでいる」なんて言い方が出ますね…。

死はそこにある。

ハワイに死の部屋、というのは絶妙なセッティングです。

わざわざ「僕」=五反田クンという文章にも気をつけるべきです。

資本主義の恩恵を受けて「間違ったこと」をしてしまっているという図式は何も特定の人だけに当てはまるのでない、という風に解していいでしょう。



ユキもアメもデリック・ノースも牧村托も一見お化け家族に見えますが、マイノリティという風な見方もできると思います。


ユミヨシさんは、物語においてとても読み手に近い存在です。

チョット神経質で、勇敢。

しかし彼女はあちらの世界に行ってしまいます。



ふう。

救いのない物語だと思います。

すべてが徒労に終わるような感覚。

それでもダンス…。

あまり開放感はないです。


村上さんは楽しんで執筆できたとどこかで語っていましたが!

まるで「kid A」のoptimistic…「できる限りのことをすればいいんだよ」…OK。


食事の文章がぐだぐだと続くところが、気持ちを落ち着かせてくれました。


ダンス・ダンス・ダンス〈上〉
ダンス・ダンス・ダンス〈下〉

| 速読家の読書感想 | 22:10 | - | |
目の前に立ちはだかる「壁」を超えるためのヒント〜出口汪の大人のための超スピード勉強法〜
最近、速読本コーナーの棚の中に「出口汪の大人のための超スピード勉強法」というタイトルの凡庸な本を本屋で立ち読みし、「おやっ?意外に読ませるなあこの本!」と感じて購入しました。

凡庸なタイトルとは裏腹に、読ませる本なのです。
正直この本のタイトルは忘れてもらって構わないです。
理路整然とした言説に触れていただきたい。
大事なものは内容ですね、内容。

ブログなどでテキストを書いたりする方などの思考力の強力なサポートになり得る本です。

筆者の体験談を交えながら(団塊の世代の少し下という、年代的な特徴が顕著です)、示唆にとんだ教訓を見つけることが出来ると思います。

地味な本ですがなかなかの良書。

ごくごく最近の時事ネタや著者の仕事との関わりで勉強法の何たるかを教えてくれます。

僕はぐいぐい引き込まれて読みました。
理解させる文章も上手いですねぇ。
さすがは元カリスマ予備校講師!

読み方によっては、定価以上の収穫が得られると思います。
論理、言語、壁、に関して卓越した見解が記されています。


<世間で考える力をつけよう、という宣伝文句を聞いて、あなたはその宣伝文句の問いかけ自体に何も疑問を抱かないままなのでしょうか?>


この問いかけは皆さんへの、僕からの挑発的な問題提起ですが、それを解くヒント
がこの本には秘められている、と思います。

現役退職された方で趣味を探している、という方でも、営業職で日々雑務に追われているようなサラリーマンの方ででも、工房職人でも、公務員にもすべての人に勧められる本ですね。
でっかい本屋で検索して見つけてみて下さい。

出口汪の大人のための超スピード勉強法

| 速読家の読書感想 | 21:03 | comments(0) | |
「羊」をめぐる冒険!!!!!!!〜僕と「僕」と村上春樹さんと〜
僕の大好きな作品。
凄くエンターテインしてると思います。
また、この物語は「自我の成長」という文脈でも読み取ることが出来ます。
(近代日本の成長の縮図、という文脈で捉えるのもいいでしょう。)

まあ、難解で不思議な世界観は顕著ですねぇ。
ストーリーは単純ですがより深くメタフォルを読解するのがムツかしいし、また、興味深いところでもあります。

前二作に登場していた「鼠」の消息もこの作品で、…はっきりします。(これ以上読むと小説のネタバレの危険がありますんで、ご留意下さいね)




…ベアビールの凡庸な分析…

……「鼠」とは「僕」と似て非なる ドッペルゲンガー の様なものだと思います。
10代の「僕」自身の記憶ですね。

物語後半で鏡と対峙して主人公の意志の所在が曖昧になるシーンがありますが、とても象徴的だと思います。

ユング の言うオルターエゴの領域ですね。
精神の世界の描写は、ええ、逸脱です。

羊男も、戦争を知る上の世代の記憶やら、何やらを凝縮し閉じ込めた「媒体」という存在に解することも出来るかと思います。

だから、羊男はワケの解んない着ぐるみのような格好でいらだったり、動物のように主人公が押しては身を引いたり、主人公が引いたら逆に寄ってきたりするんだと思います。


まるで物語前半に登場してくる広告産業そのものですね、羊男は。
とてもキャラクタライズされた存在だし…。



じゃあ、北海道の鼠の父親の所有だった別荘は何を意味するのでしょう。


居心地のよい住処だというのは、小説を読めばすぐわかります。
(→これを子供期のモラトリアムと解します)

でも、一歩外を出たら、人の住める場所ではないぐらい、厳しい環境だとわかる。
(→これをキビシい世間の荒波と凡庸に、解します)

それを、主人公は(彼と親しい人間で構成される)周囲の要請で爆破することを余儀なくされる。
(→人生の転換点、と解します。そこには感激も誇張もなく、ただ、通り過ぎるのみ)



主人公はお茶会に集まる、特殊な羊も、黒服の男も、既に死んでしまった鼠も、まとめて爆破することになっちゃいます。

→何を爆破したのか。
邪悪さや、欲望やらの人に取り憑きまとう、禍々しいものです。
ここに「鼠」の10代の記憶を包含するのは可能です。
彼の生い立ちは前二作で既に詳細に記されてます。
まるで資本主義社会の縮図のような、お金にまみれた記憶がそこにあります。

しかし、「僕」は資本主義的報酬を手に入れて、ジェイズバーに寄ったあと、川辺で泣いてしまいます。

すべてを爆破したのでもなく、鼠が羊に取り込まれかけた際のきっかけになった「弱さ」の余韻がエンディングに流れています。

しかし、もう「僕」は後戻りできない。
歩き出さなければならない。
悲壮感と疾走感の綯い交ぜになったような、優しい余韻。
不思議だな。

PS:耳のステキな女の子と別れてしまうことになってしまったのは残然だけれど、結局は理不尽に「僕」が追い返したも同然だ(この耳をイメージするだのはとても楽しいことだった)。

やっぱり身勝手だなぁ、主人公。


でも大好きな物語ですね!

羊をめぐる冒険


| 速読家の読書感想 | 19:33 | comments(0) | |
ピンボールとの一期一会〜村上春樹/1973年のピンボール
「風の歌を聴け」に次ぐ村上春樹の30年前の小説です。

時を経て、出会いと別れを繰り返し、「靴箱の中で暮らす」ようになった主人公がモチーフ。
前作と比べれば、全体の設定が幾分か「分かり易い」内容に仕上がっています。


双子のペアは、(ブラックジャックの)ピノコみたい。
危なっかしい主人公を少しだけ安心してみていられる役回り。

アクセント。
このアクセントが、物語にどれだけ関わっているかは…あまり問題ないですね。


これはピンボールのお話であり、主人公が語る昔の女の子の追憶などは読者には共感以上の意味はないのだから。



コミュニケーションに関わるモチーフが、多用されているのが特徴。

物語上の出来事で…興味深いのは、配電盤の取り替え、その埋葬、鼠という愛に憂いだ人物の霊園に佇む描写を見てみても、生活そのもののゆるやかな変化の兆しが物語の通低音として響いています。



畜舎に整然と並んだピンボールや霊園の描写は単なる死の象徴として考えるべきではないのです!
青春という苦い季節をやり過ごし、その季節を生き延びた人間が今ある自分の過去の記憶を墓標に刻んでいるもの、と考えていいでしょう。
決別?EXACTLY!


現在進行で、今にも死のうとしているものを自分の手で、殺すということかもしれません。
(自ら決意し、町を離れる鼠の心情とも通じます)

そして殺すことで、生を取り戻す。

1973年という、「現在」の記録。


主人公も鼠も、同一人物、ペア、と解しても差し支えないでしょうが、一方はディスコミュニケーションを徹底することで生き延び、一方は街を離れることで死に絶えます。


紙一重。
とくに何が違うでもないんです。



この小説「1973年のピンボール」を未読の人には特に…失恋した人や、大切な人を失ってしまった人に読んでほしい。

凹んだ気持ちが少しはアップリフトするかもしれませんよ。

…なんだか、けっこうブルーな内容なのかも知れませんね。
基本的に一人称だし…。








| 速読家の読書感想 | 19:10 | comments(0) | |
村上春樹/風の歌を聴け
彼のデビュー作。
この本を読むとなんだか感傷的になる。
読み手の記憶の隅を突っついてくると思う。


文章の骨格が弱く、ちぐはぐな、大事なことをはぐらかされているような(その意図はあるだろう)印象も受ける。


でも好きな出だしだ。
少なくとも誠実に語ろうとしてるから(少しキザに感じるかもしれない)。


冒頭部「小説」を書いている「僕」が厳密な意味で、誰なのか、よくわからない。
でもそれはどうでもよいことです。

「僕」という主人公がいろんな人や物とのやりとりを淡々と語っている文章です。
そのやりとりの結果の語りこそが、この文章の魅力です。


途中、登場人物である鼠の語る小説(とっても素敵な短編だ。
「僕」は鼠に茶々を入れてたけども。)が、実際のこの小説の内容に浸食してくる瞬間はなんど読み返してもスリリングだ。


村上春樹さんの専売特許かもしれない。

リアルとワンダーの往復、並行という手法は後の作品でも、大きな特徴だ。



この小説で☆で区分けされた内容は何を意味してるのだろう。
「僕」という主体を分けているのか、この小説そのものと分けているのか、なんなのかよくわからない。

でも、☆の中に書かれた事柄は、でっちあげのような嘘のようにも感じられるのに、一層なにか切実さを感じる。


☆内の一部にねじまき鳥クロニクル(第1部)でも重要なモチーフとなるハートフィールドという文豪の作品に登場する井戸の紹介を読むのも、とても興味深い。


何でず〜っと、村上春樹さんは井戸に対してオブセッションを抱き続けてるのか…。
わからない。
わからないから、また、読んでしまう。



決してこの小説においては「僕」は村上春樹さんとイコールの存在ではない、断じてない。
例え特徴がそっくりだったとしてもだ。
「僕」はこの小説のフィクションのいち要素に過ぎない。


取り留めなく意味のないようなことを饒舌に喋りまくるラジオのDJの台詞にこの小説は集約される。
(ラジオのDJ=村上春樹さん、という考え方は跳躍が過ぎるだろうか?)

DJの台詞
僕は・君たちが・好きだ


まさに「風の歌を聴け」じゃあないか。
冒頭部分に書かれている通り「教訓なら少しはあるかもしれない」。

この小説の一番大事なところ(太字ですしね)。

いいや、そういう言葉を言わせているだけさ、と捉えられなくもないですね。


でも、「僕は・君たちが・好きだ」っていう、言葉の震えに打ちのめされたベアビール=僕自身は、取り留めなく意味のないようなことを饒舌に喋りまくるDJと村上春樹さんが同一の存在に映ってしまったのです。

また「風の歌を聴け」を読み返そう。
| 速読家の読書感想 | 02:24 | - | |
何も世界の惨状を分かってない僕は彼の狂ったような言説にただ注意深く耳を澄ませる「メディア・コントロール」
以前ニュースを読んでいて、ふと本棚からチョムスキーのメディア・コントロールの本を取り出して速く読み切りました。
ちなみに気になったニュースというのは…(以下YAHOOの海外ニュースから一部抜粋。)


「10日付の米紙ワシントン・ポストによると、元米中央情報局(CIA)当局者のポール・ピラー氏が近く外交問題誌に掲載される論文の中で、ブッシュ米政権が既に決断していたイラク攻撃を正当化するため、米情報機関の都合の良い情報を利用したと批判していることが分かった。…」


歴史というものが事実であることとは結びつかない。
そこには財界とか一部の「健全な」民主主義を重んじる政治家や官僚の思惑も、影響します。

国内の話題に転ずれば、例えば、JR西日本の福知山線の脱線事故は痛ましい事件でした。身近な電車であんな事故がおきるとは想像さえ出来ない。

しかし…人は悲しい位に大事なことを教訓だとか反省だとか痛みだとかいうものを悉く忘れられる生き物(これは誰にも否定できない事実だ)。

僕は、人は、思考停止に陥ってしまったら終わりだと考えるんですね。

企業側に、権力者たちに飼いならされる「とまどえる群れ」と化してしまう。
常に考え、考え続けるポーズが大事だ!




今回テーマの、ノーム・チョムスキー著「メディア・コントロール―――正義なき民主主義と国際社会」。

一言でいえば過激。辛辣。
そして、感情的すぎます。

あきらかに、狂ってます。ちょっと怖いくらい。
たまに言っていることが理解できかねます。
しかし切実。


冒頭は権力者の視点で大衆をどうやってうまくコントロールするかというシニカルな視点で論じているんですが、徐々に、主体はチョムスキー本人に転じています。



テキストはアメリカ国民を念頭において書かれたものではありますが、……、日本人もアメリカの民主主義の恩恵を享受してることを考えると、アメリカ国民と立場はそう変わらない。

何の立場?
それはアジテーターに利用され続ける「とまどえる群れ」という立場。
日本の場合はこれに政治家、多国籍企業を除いた多くの企業が含まれるけれども…。

興味深い箇所をあげれば「テロ」の定義にふれた箇所です。
「テロというのは他国(アメリカ以外の国)が私たちにたいして行った場合だけで、それが慣例なのだ。私たちが他人にもっとひどいことをしても、それはテロではない…」

いうまでもありませんが、フセインは独裁者で、少数民族クルド人を大量虐殺したのは悪です。

しかしそれを当時のアメリカは協力にサポートしていました。
ネットでちょいちょい調べてみてもすぐにわかります。

90年代湾岸戦争が起こったときイラクにはイスラエルの軍事拡張の脅威がありました。

しかし…現代のニュースで過去アメリカがテロ組織を支援し或いは、民主主義の根付きつつあった政権をつぶして元の独裁国家に引き戻したいきさつなど…興味深い内容となっています。

ほんと考えて、考え続けなきゃ。

それも重層的に多角的に。
チョムスキーはそのヒントを狂気でもって伝えてくれます。

今、この現代を生きる上では、狂気に取り憑かれざるを得ないのかもしれません。






| 速読家の読書感想 | 12:29 | comments(0) | |
アルチュール・ランボオはまるで銀河の洪水だ
あれは何がきっかけだったのかな。

学生の頃に読んでいたゲーテルの不完全性定理を紹介していた本の一節に確かランボオの詩が紹介されていて僕は、その詩にびっくりして数学もゲーテルもそっちのけで彼の本を探したんだ(しばらくしてゲーテルもちゃんと読んだけれども)。


未だに彼の詩に触れると電流が体を突き抜けるような衝撃がある。

しばらく経って運良く手に入れたのが岩波文庫の「地獄の季節」だ。

その中に、やっぱり一番始めに知った彼の詩は、文字どおり輝いていた。

うなるような大河の洪水も、ざわめく大気の鼓動も、脈打つ樹木の躍動も…全部が、すべてがここにある。

いらだちながらもありとあらゆる世界を透視するような視点、ダンテ・アリギエーリのリンボ巡りの世界観を彷彿する位に徹底的に孤独で、侮蔑的で、優しい文体。
以下は…、冒頭挙げたランボオの「飾画(イルミナシオン)」の「断章」の一部です。下手なベストセラーを読むより、いい読書タイムが満喫できると思います。


『 この世が、俺たちの見開いた四つの眼にとって、たった一つの黒い森となるときに、――二人のおとなしい子供にとって、一つの浜辺となるときに、――俺たちの朗らかな交感にとって、一つの音楽の家となるときに、――俺はあなたを見つけるだろう。
「未聞の栄光」に取り巻かれ、静かな、美しい老人だけが、たった一人、この下界に棲んでいてくれたら。――俺はあなたの膝下にある。
 ああ、俺が、あなたのすべての思い出を実現した身ならば、――あなたを絞め殺す術を心得た女ならば…(以下省略)※岩波文庫「地獄の季節より一部抜粋」』

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| 速読家の読書感想 | 12:14 | comments(0) | |
舞城王太郎/阿修羅ガール
この物語は…スカスカの、空っぽの作品。
もちろん作者は意識的にそうしてます。

内容は「アルマゲドン」「三門」「JUMPSTART MY HEART」の三部から成ります。
主人公「アイコ」彼女は金田陽治への恋で思い悩む。
学内のマキにシメられそうになり、彼女を完膚なきまでに叩きのめす。
小説内は不穏な空気がどんどん高速にエスカレートしていく。
その復讐として自宅に金槌を持ったマキが現れ…アイコは魔界巡りへと向かう。



いろいろ細かいワザが小説内で繰り広げられます。
文体も「インターネット世代」以降のフォント調整を取り入れてみたり、掲示板のスレをモチーフにしていたり。


それでも、味気ない感じはなく、今を生きる複雑に屈折した無感覚な人間の心の震え、痛みが読後、じわじわ感じられます。
文体はあくまでスカスカで空っぽな調子だけれども。

逆に読書に不案内の人にはハマるかもしれないです。感覚的な面だけで、この小説を読み取ることも可能です。

グルグル魔人がダイブする前にも口ずさんでいたウンコパン三世のテーマ曲にこの小説は集約されるのかもしれないです(あまりに意味のないところにこの小説の意味があります)。

アイコも浦安くんもグルグル魔人もなんだか全員……。みんな怪物なのかもしれないです。


この小説のオイシイ処1

「三門」内の「森」の章。
小説全体のキーでもある「グルグル魔人」ともリンクするが、単独で読んでも楽しめます(ラッセ・ハルストレム監督の映画『やかまし村のこどもたち』『やかまし村の春・夏・秋・冬』よりインスパイアされているとのことです)。
夢に出てきそうですし、なんだかワンダーな具合が村上春樹を連想します。


この小説のオイシイ処2

この小説での愛の象徴、金田陽治が、最後はアイコとどう関わりあうか、も見所といえば見所です。

この小説のオイシイ処3

さくらづきたんげつ、というキャラクター。ぜひ一目見てみたい。


総括

テーマはシンプルです。愛です。
サンプリング感覚に長けた作者の挑発的な、意欲作です。





| 速読家の読書感想 | 12:09 | comments(0) | |
アーティスト検索
20世紀に活躍したアーティストの概観をまとめた良書です。
イズムも流派も関係なく載ってます。
美大受験にがんばってる人も、美術には興味あるんだけどなんだか敷居が高そうでね…と遠慮している人にもグッドな良書。
入門書として最適です。

後ろの検索欄を読めば、美術館で見た○○というひとはどういう人かなとか、美術の動向が一目瞭然です。

僕はこの本で、異才フランケンサーラー(マザウェルの奥さん)を知ることが出来ました。
たくさんの発見があると思うんで。

| 速読家の読書感想 | 12:06 | comments(0) | |