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@速読書事典

速読や読書術・書籍の大百科事典です。
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村上春樹/風の歌を聴け
彼のデビュー作。
この本を読むとなんだか感傷的になる。
読み手の記憶の隅を突っついてくると思う。


文章の骨格が弱く、ちぐはぐな、大事なことをはぐらかされているような(その意図はあるだろう)印象も受ける。


でも好きな出だしだ。
少なくとも誠実に語ろうとしてるから(少しキザに感じるかもしれない)。


冒頭部「小説」を書いている「僕」が厳密な意味で、誰なのか、よくわからない。
でもそれはどうでもよいことです。

「僕」という主人公がいろんな人や物とのやりとりを淡々と語っている文章です。
そのやりとりの結果の語りこそが、この文章の魅力です。


途中、登場人物である鼠の語る小説(とっても素敵な短編だ。
「僕」は鼠に茶々を入れてたけども。)が、実際のこの小説の内容に浸食してくる瞬間はなんど読み返してもスリリングだ。


村上春樹さんの専売特許かもしれない。

リアルとワンダーの往復、並行という手法は後の作品でも、大きな特徴だ。



この小説で☆で区分けされた内容は何を意味してるのだろう。
「僕」という主体を分けているのか、この小説そのものと分けているのか、なんなのかよくわからない。

でも、☆の中に書かれた事柄は、でっちあげのような嘘のようにも感じられるのに、一層なにか切実さを感じる。


☆内の一部にねじまき鳥クロニクル(第1部)でも重要なモチーフとなるハートフィールドという文豪の作品に登場する井戸の紹介を読むのも、とても興味深い。


何でず〜っと、村上春樹さんは井戸に対してオブセッションを抱き続けてるのか…。
わからない。
わからないから、また、読んでしまう。



決してこの小説においては「僕」は村上春樹さんとイコールの存在ではない、断じてない。
例え特徴がそっくりだったとしてもだ。
「僕」はこの小説のフィクションのいち要素に過ぎない。


取り留めなく意味のないようなことを饒舌に喋りまくるラジオのDJの台詞にこの小説は集約される。
(ラジオのDJ=村上春樹さん、という考え方は跳躍が過ぎるだろうか?)

DJの台詞
僕は・君たちが・好きだ


まさに「風の歌を聴け」じゃあないか。
冒頭部分に書かれている通り「教訓なら少しはあるかもしれない」。

この小説の一番大事なところ(太字ですしね)。

いいや、そういう言葉を言わせているだけさ、と捉えられなくもないですね。


でも、「僕は・君たちが・好きだ」っていう、言葉の震えに打ちのめされたベアビール=僕自身は、取り留めなく意味のないようなことを饒舌に喋りまくるDJと村上春樹さんが同一の存在に映ってしまったのです。

また「風の歌を聴け」を読み返そう。
| 速読家の読書感想 | 02:24 | - | |